2012年2月23日木曜日

3.11~3.12を振り返る 個人的反省として

まもなく3月、あの大震災から1年です。特に東日本地域の人々は、それぞれの場所、立場で大なり小なり大変な経験をしたことと思います。

ここで私自身の体験を振り返りながら、「これは失敗だった」と思う判断、行動を反省すると共に、今後の教訓にしたいと思います。このブログを目にされた方に多少なりとも参考になれば幸いです。


地震発生直後

私は都内で勤務中でした。職場には緊急地震速報機能を持つNTTの電話機があり(珍しい!)、本機能が作動したはずなのですが、何とボリュームがゼロ!になっていたため、誰も気づきませんでした。ケータイの同種サービスもフロアの誰一人として反応せず(未設定だったからか?)、突然の揺れに遭遇しました。
勤務フロアが低層階だったこともあり気分が悪くなるほどではありませんでしたが建物自体は長く揺れ、周囲の壁がギシギシと軋む音を出し続けたため、

「ひょっとして倒壊なんてことも、、、」

と多少の不安は感じました。建物は耐震基準を満たしており、倒壊の危険はないとされていますが、それでも万が一を考慮して、倒壊の危険性を何をもって判断するのか?どのタイミングで建物から逃げ出すのか?逃げ出した場合は、どこに避難するのか?など、今でも結論が出ていない点が多々あります。



揺れが収まった後

職場の規定に沿って安否確認を済ませましたが、当然ながら仕事など手につきません。まず考えたのは家族のこと。
我が家は共働きなので妻は茨城県内の職場にいます。子供は小学校に登校中でしたが、すぐ放課後となったので「児童クラブ」という名称の学童保育場所に移動したはずです。クラブハウスは簡易なプレバブタイプなので、こちらも「倒壊などしてないだろうか?」と心配になり、電話連絡を試みました。


当然、なかなか繋がらなかったのですが、何度目かにつながり、クラブ責任者の女性マネージャーと話が出来ました。その際、
・クラブハウスは特に損傷なし。
・出来るだけ早く子供を迎えに来て欲しい。
と言われました。「分かりました」とは答えたものの、都内から茨城まで帰宅できる見込みはたっていませんでした。

「他の保護者からも連絡が相次ぐだろうから」と遠慮して早めに会話を打ち切ったのですが、これが大きな失敗
実は震災があった金曜日は、子供のサッカースクールの日でした。普段はコーチがクラブハウスまで迎えに来てくれて、サッカー終了後に自宅まで送ってくれます。
しかし、この大地震の日に迎えに来てくれるのか?来たとしても、サッカースクールに行くべきか?という点まで考えが及ばず、子供に次の行動を指示できませんでした。
その結果、
子供がサッカースクールに行ったのか?
行ってないのか?
所在地が不明瞭になってしまったのです。何度か試しましたが、児童クラブとはあれっきりで電話がつながりません。


その後、無事に帰宅した妻から「今日はサッカー行ったのかな?」というメールが来たものの「行ったかどうか、分からない」としか返事できませんでした。(いや、そもそもすぐには返事メールが送信できなかったと思います)

大失敗です。最初に電話がつながったときに、
「サッカーには行かずに、親が迎えに行くまで児童クラブで待っているように」
と明確に指示すべきでした。大きな反省点です。

結局、普段ならスクールバスが到着するはずの時間まで妻が自宅で待機して様子を見た後、「帰ってこないから、まだ児童クラブにいるはずだ」という判断でクラブに迎えに行くことになってしまいました。


今日は帰宅しない(できない)と決めてから

日頃から妻には
「もし大地震が起きたら帰宅できなくなるけど、俺のことは心配いらない。子供と家のことを頼む」
と伝えてありました。この点の取り決め、意思疎通を普段から行なっていたのは良かった点です。
職場からは
「可能なら、帰宅してよし」
と指示がありましたが、交通機関は大混乱している様子でしたので、私は「帰宅しない」とすぐに決断しました。この時点で、妻から「無事、子供と一緒に帰宅した」との連絡も入っており、特に憂いはありませんでした。

その後、会社から
「帰宅できない従業員には、乾パンと飲料水を支給する」
と連絡がありました。なかなか準備のできている会社だったのです。が、欲を言えば社外に出て、独自に1~2食分の飲食料を確保しておくべきだったと思います。

会社からは乾パンという名目で棒状のクラッカーが2袋と、水のペットボトル500mlが2本支給されましたが、とても味気のないもので(非常時に贅沢ですが)、食料としての役割を半分しか果たさなかったからです。つまり、頑張って食べましたが、それぞれ1つずつ消費するのがやっとでした。

結局、翌朝明るくなってから外出して近所のコンビニを見て回りましたが、既に店は空っぽ状態で、食料の確保には失敗してしまいました。


翌朝の帰宅開始まで

この晩は職場に泊まるため、避難難民になる懸念はありません。私の関心はいつ、どうすれば茨城県守谷市の自宅に帰宅できるのか?その1点にありました。

私はワンセグ機能すら付いてない「ガラケー」ユーザなので、地震とその後の津波については詳しい情報を掴んでいませんでした。職場のPCを使い、ネットで情報を収集しましたが、全国的な被害状況には不思議と関心を持てませんでした。

首都圏の広域路線図を見ながら、埼玉方面、もしくは千葉方面から大回りするルートも含めて、どのような帰路があるのか確認しました。しかし、結局は利根川を越える手段がつくばエクスプレスか、JR常磐線しかありません。このとき、何らかの手段で車で帰宅する選択肢は考えませんでした。


当日都内にいた方はご存知のことと思いますが、3.12の朝になり、山手線の運行が再開された後、確か
「6時頃に常磐線の運行を再開する」
という情報が入ってたはずです。
千葉方面に帰宅する職場の何人かは、この時刻に合わせて会社を出ましたが、私は様子を見ることにしました。可能ならつくばエクスプレスで帰宅したいと考えていたこと、そして、常磐線の乗換駅となる上野駅が大混雑することが容易に予想できたためです。

twitterで情報を見ていると、
上野駅大混雑!
身動き取れない!!
入場制限中!!!
といった情報が次々と入って来ました。案の定です。続いて、北千住駅も大変なことになっているという情報も入って来ました。

また、つくばエクスプレスについては

「利根川の橋を通行できない。復旧には相当の時間が必要」

という情報が流れました。これで帰宅手段は常磐線しかありません。しかし、上野駅や北千住駅で常磐線にアクセスすると大混雑に巻き込まれてしまうため、

「できるだけ千葉方面に行った場所で常磐線に乗りたい」

と、その可能性を探りました。


このとき、JR武蔵野線も東武野田線も動いていなかったため、考えたのは会社の最寄り駅から都営浅草線に乗り、京成高砂駅あたりを目指し、そこから徒歩でJR金町駅へ行って常磐線にアクセスするルートです。
周辺の地図を印刷し、いつ帰宅の決断をするかという状況でしたが、そこに

「東武野田線の船橋-柏間が動き出しそうだ」

という情報が入って来ました。

twitterで見ていると、「試運転の電車が走っている」、「野田線動き出した」という情報が次々と出てきました。間違いなく運転再開したようです。これで帰宅ルートは決まりました。
会社の最寄り駅で都営浅草線に乗車、そのまま北総線に入り、新鎌ヶ谷駅で東武野田線に乗り換え、JR柏駅を目指すルートです。柏からその先どうするかは、その場の状況で考えようと決めました。


帰途についた後

私が会社を出たのは3.12の9時頃です。近くで腹ごしらえする可能性を求めて、少し周辺を散策しましたが、コンビニは空っぽ、閉まっている店が多く、ほぼ唯一営業中だった牛丼屋には長蛇の列ができていたため、食事は諦めて、このまま帰宅を決意します。

最寄り駅で電車に乗る際も長蛇の行列、電車内はスシ詰め状態の上にノロノロ運転。それなりに大変でしたが、11時過ぎに柏駅に到着。それなりに順調に移動できたと思います。


一つ反省するなら、私のガラケーは移動中の情報収集には全く役に立ちませんでした。職場ではPCで情報が集められ、その時々の判断に利用できたのですが、外に出た途端に完全な情報弱者状態です。もし、選択したルート上で何らかのトラブルが発生していれば、困ったことになったと思います。

さて、私は柏市民だったこともありますし、ここまで来れば気分に余裕も出てきます。空腹だったこともあり、ここで昼食をとるため駅近くの王道家へ。私は家系のラーメンが好きなのです。
普段なら行列のできる人気店のはずですが、この日はさすがに客は少なかったです。私の好みからすると、この店は味が濃い過ぎる感もあるのですが、それでもラーメン食べて満足しました。


しかし、この寄り道はさすがに余裕ぶっこき過ぎだったようで、食べ終えて柏駅に戻ると、目の前で取手行きの電車が発車してしまいました!次に来る電車は我孫子止まりです。
「しまったなぁ」と思いつつ次の電車に乗って我孫子駅まで移動しましたが、後続の電車が来ません。聞けば、
「次の取手行きはまだ上野駅を発車していません」とのアナウンスで、いつ到着するのか分かりません。

「柏で寄り道したのは失敗だったか、、、」と後悔しましたが、仮に取手駅までたどり着いても、その先の関東鉄道常総線が動いてなさそうだし、取手周辺もそれなりに混乱しているでしょう。取手に着いても、そこから守谷までの帰途に不安があります。このあたり、取手周辺の情報を集める手段がなかったのは反省点です。

実は我孫子には義姉の家があったため、そこへ行くことも考えましたが、迷惑掛けたくなかったこともあり、思い切って我孫子駅から守谷まで徒歩で帰ろう!と決意しました。もし極端に暑かったり寒かったり、もしくは雨でも降っていて体力的に徒歩帰宅が厳しい状況だったら義姉を頼ったと思います。

守谷までの道のりですが、子供が生まれたのが我孫子市内の病院だったため、守谷-我孫子間は車で頻繁に往復した経験から、ルートは明確に頭の中にあり、距離感としても困難なく歩ける確信がありました。
革靴は歩きにくかったですし、新利根大橋の長さには閉口しましたが、3.12の午後1時半には無事に守谷の自宅にたどり着くことができました。


我孫子から徒歩帰宅の途中、周囲の人々の様子をうかがっていると、勝手を知っている人達は我孫子駅からバスであけぼの山公園まで行き、そこから徒歩で新利根大橋を渡っていました。他には新しい自転車に乗って橋を通過する人も数名目撃。どこかで購入しての帰途だったのでしょう。

最後の徒歩はちと疲れましたが、まぁ悪くない帰宅方法を選択し、それなりにスムーズに守谷にたどり着けたと思っています。

長文、お疲れ様でした!

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