2012年2月18日土曜日

放射能汚染と「メシウマ心理」

「他人の不幸は蜜の味」という言葉があります。甘いものが何よりご馳走だった古い時代を思わせるネーミングですが、人間がこうした感情を生み出す仕組みは科学的に解明されているという話もあります。ネットの世界では「メシウマ」という言葉も使われますね。

私の住む茨城県守谷市は、東京電力が起こした原発事故の影響で「ホットスポット」と呼ばれる放射能汚染問題を抱えています。
そして、現状の守谷市の汚染レベルが健康に害を及ぼすのか否か、市民の間で意見が大きく分かれています。そして、この意見の相違には「メシウマ心理」とでも表現すべき作用が働いており、意見の対立に拍車をかけているように感じるのです。

私自身もそうですが、家族が放射線の危険に晒されるような事態が起こることを予想だにできませんでした。そのため、守谷の放射能汚染が判明した当初は大きな不安を感じましたし、ネットで調べると「守谷は危険だ!」という情報が続々と出てきました。

ただし、初期の混乱期を経過した後に気づいたのは、
放射能は危険だ!守谷は危険だ!
と思ってネットを探せば、
「そうだ放射能は危険だ!!だから守谷は危険だ!!」
という情報が次々と見つかるということです。おそらく無意識のうちに、自分の意見を肯定してくれる情報ばかりを探し出すように行動してしまうからではないでしょうか。

この段階で、
「いや、大丈夫だ。そんなに心配するような汚染レベルじゃないぞ」
という情報にたどり着いて、それを受容することができるかどうかが重要な岐路だったと思います。そして、現在の守谷市内には「危険だ!」という情報しか信じない人が大勢いる状況です。

守谷市の放射能汚染を危険だと思う人とそうではない人。これは思想の相違といってよい次元の話だと感じますが、ともかく市民は二分されていて、普段の生活行動にも大きな相違を生じています。

「危険だ!」と思う人は即座に行動することを求められます。守谷に住み続けることをあきらめ、引越して去った人も少なくありません。ある知人は、
・長女は転校して自分の実家に避難
・長男は転校しないものの外遊びは禁止
・家族の洗濯物は全て部屋干し
・室内は除染のために頻繁かつ小まめに掃除
と生活環境や習慣を一変させました。大変だと思います。様々な苦痛を伴っているでしょう。(この方はNHKの番組に取り上げられ、本人が実名で登場。それで上記の事実を知りました。)

一方で、「危険はない」と思う人は目だった行動はしません。原則はこれまで通りの生活です。危険派の人は自分の苦労を鑑みて、そうした「危険はない派」の人の姿をにがにがしい思いで見ていることでしょう。
ここに働いてくるのが例の「メシウマ」です。「反メシウマ心理」と呼ぶほうが当たっているかもしれません。

危険派は被害妄想に捕らわれています。

私はこんなに苦心賛嘆たる思いで放射線対策しているのに、「引越?転校?ご苦労なことだね。バカじゃないの~ あー、メシウマ~」なんて陰で言われてる!許せない!!

こんな感じでしょうか。こうなると危険派は益々「放射能は危険だ!健康に有害だ!」という情報を探し出し、それを深く信じるようになります。「危険はない派」の不幸を願うようにもなります。

あー、あそこの子どもは5年後に白血病か癌になるわ。5年後は無理でも10年後には必ずなって早死にするわ。可哀想に。あそこのお父さんやお母さんのせいよ。ちゃんと放射線対策しないから。うちの子は健康で長生きする。あー、メシウマ~

というわけです。

いささか私の想像が暴走した感もありますが、守谷市の現状の汚染レベルとその危険性について、市民の認識は大きく二つに分かれていて溝は埋められそうにありません。

両者の相互理解はとてつもなく困難で、例えば私の身近なところで言えば、松ケ丘小学校の校庭の芝生は、危険派に押し切られる形で全て剥がされるという憂き目にあっています。これは危険派にとっての「メシウマ~」なわけで、こうした事例が積み重なることで両者の対立が深刻になっていくのです。

どうしてこんな事態になってしまったのでしょう?もちろん東京電力に責任がありますし、国民の信頼感を決定的に損ねた政府も拙劣すぎました。

しかし、他人を非難してばかりいても状況は好転しません。理想を言えば、危険派が「危険ではなくなった」と認識するレベルを目指して市内の除染を徹底的に進めればよいのでしょう。しかし、そんなことが現実問題として可能かどうか。予算も人手も不足しているでしょうから、結局、分裂を抱えたまま進んでいくしかないのでしょう。


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