2012年4月12日木曜日

茨城県守谷市 地名の由来

茨城県守谷市のサイトで「平成23年版「統計もりや」が公開されています。資料の冒頭が面白く、「守谷(もりや)」という地名の由来が説明されています。もちろん、

「ソロモン王が神殿を建てたエルサレムのシオン山 "Moriah"」

ではありませんw

何と!日本武尊(ヤマトタケルノミコト)!!と平将門!!です。

リンク先から概要を引用すると、

守谷の由来:その1

第12代景行天皇の時代、その子・日本武尊が蝦夷征服を行った際、この地を通り、うっそうたる森林が果てしなく広がっているのを見て感心し、「森なる哉」と口にした。これを漢訳し、音読すると「森哉(もりや)」→「守谷」となった。


漢訳して音読とはややこしいですね。日本武尊の伝説では、似たような話として、自分の奥さんを「吾が妻」と呼んだのが「吾妻」→「東(あづま)」となったというのがあります。鎌倉幕府のことを記した歴史書『吾妻鏡』の「吾妻」ですね。


守谷の由来:その2

平将門がこの地に城を築いた際、「丘高く谷深くして守るに易やすき地」と評したところ、「守るに易き谷」が転じて「守谷」になった。

平将門といえば、誇るべきものが少ない茨城県南で、数少ない歴史上の著名人です。その昔、NHK大河ドラマの主人公として取り上げられたこともあり、その際には守谷周辺も相当に盛り上がったのではないかと推測されます。


この大河ドラマの原作を書いたのが、わが敬愛の海音寺潮五郎。ご興味があれば、このあたりこのあたりなどお読みいただければ幸いです。

ちなみに、現在の守谷市内には「守谷城址」と呼ばれる公園があり、

「平将門が築いた城址だ!」

として、大河ドラマ放映当時には観光客を誘致していたようです。守谷市内には今でも

「将門城址 こちら」

と書かれた看板が朽ち果てて残っていますが、その城址に行ってみると、

「平将門が築いたといわれますが、とても平安時代のものとは思えません」

という説明文に出くわすという素晴らしいオチが待っています。


こんな感じ(?)の守谷市ですが、2011年も順調に人口は増加。茨城県内では屈指の「元気な街」です。放射能なんてへっちゃらですよ。



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