2016年9月21日水曜日

平将門と桔梗、桔梗塚

 茨城県の県西から県南地域には平将門に縁があると言われる場所が多々あります。そのうちの一つが茨城県取手市にある「桔梗塚」です。その名の通り、桔梗という女性のお墓だったとされる場所ですが、かなり交通量の多い国道294号線のすぐ脇にひっそりと位置しています。以前から存在は聞いていましたが、実物を目にしたことはなかったので一度見てみようと思い立ち、行ってみました。そして、これは盲点と言うか、車では何度も往来したことがある場所ですが、こんな所にあったのですね。今回はこの桔梗と平将門伝説について。


桔梗塚

 平将門にちなむ桔梗という女性。将門の側室だったという話があったり、そうではなく藤原秀郷が送りこんだスパイだったという話もあったり、色々と多彩な物語があるようです。平将門を死に至らしめた藤原秀郷については、「守谷かるた」と海禅寺、平将門と影武者として、過去にも取り上げましたが、影武者と本物の将門の見分け方を教えたのが桔梗だったとされる逸話のパターンがあるそうです。


かなり傷んでいる

 この写真だと分かるかと思いますが、塚に集められた石塔には損傷を修復した跡が多く見られます。過去にネットに掲載された写真とは形状が違っているため、ひょっとすると地震で倒れて破損したのではないでしょうか。その際に周囲の石も配置がバラバラになってしまい、元通りには戻せなかったのかもしれません。

 この桔梗塚、取手市のサイトにある説明では
将門の愛妾である「桔梗御前」の墓で、将門が討たれたと聞き、現在の塚の前まで逃げて来ましたが、追手につかまりここで殺されたと伝えられています。
となっているのですが、桔梗塚に設置された案内看板では、近くにある竜禅寺に伝わる話として
将門との間に三人の子をもうけ、薙刀の名人であったが将門の戦勝を三仏堂に祈願しての帰路、この地で敵将藤原秀郷に討たれた
という逸話を紹介しています。二つの逸話を合わせると、藤原秀郷との戦いで将門が苦戦していると聞いた桔梗は、将門に武運あらんことを三仏堂に祈願していたが、そこへ図らずも将門敗死の報が届き、落ちのびようとするも追手に捕まり、この地で殺された。おそらくは子供も一緒だったろうか。ということになりそうです。


桔梗塚の説明

 ここに出てくる三仏堂がどこにあったのか分かりませんが、この逸話を伝える竜禅寺に三仏堂があり、取手市内で唯一の国指定重要文化財だそうです。(竜禅寺は平将門が創建したと言われているそうです)この三仏堂と桔梗塚は数百メートルほどの距離ですので、上記の逸話のようであったとしたらあまりにも早く捕まり過ぎですので、当時は別の場所にあったのでしょうね。


竜禅寺三仏堂

 と、つらつらと考えてみましたが、将門敗死にまつわる逸話、そして桔梗に関する逸話はざっと調べただけでも様々な形態があります。これが示すところは何かというと「まぁ創作ですよね」ってことでしょう。「将門の影武者の見分け方云々」という話が出てくる『俵藤太物語』ができたのは室町時代だそうなので、この頃までに様々な物語が構想され、江戸時代を通じて伝承されてきたのでしょう。桔梗塚に言及した書物としては江戸後期に作られた「相馬日記」があるそうで、この時代までには明確な伝説として形作られていたようです。

そして「桔梗」ですが、殺された桔梗の恨みで「この地域の桔梗は花が咲かない」とオカルトじみた話もあるのですが、何と!江戸時代の頃、この地域は桔梗が特産品だったそうで、それを宣伝するためにこんな話が創作されたのだという説もあるようです。商魂たくましいというか、色々と考えるものですね。


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